信用取引を思い出すと胃が痛くなりそう

株のイラスト「悲しむトレーダー」

立会時間は板に張り付き、それ以外は分析作業…。しんどかった。

じぶんの経験が理解の一助に

簿記・FPの勉強をしていて共通して出てくる論点に金融商品があります。

株式や債券をはじめとしたいろいろなものが学習内容として扱われている。

わたしが実際に投資したことがあるリスク資産は株式、株式投信、ETF、REIT、FXとそんなに幅は広くないのですが、

学習する上でイメージを掴むのには助かっている部分も。

最近、簿記の金融商品会計を学習していてデリバティブ商品の計上額が評価損益の金額であることなどは

会計処理方法と金融商品の特性に一貫性を感じることができて納得感が大きかった。

レバレッジ取引は株の信用取引とFXの経験しかないのですが、それらの経験のおかげかと。

レバレッジ取引はもうやらない

金融商品に関して学習しているとわたし自身の株の信用取引の経験を思い出して、少し胃のあたりが重くなる気がする。

というのも、一時期とてもリスクを取って株の信用取引をしていた時期があって、その時の重圧を思い出すからです😰

フルタイムの仕事を辞めてフラフラしていたときに、数ヶ月ですが株の信用取引で生計を立てていた時期がありました。

当時の元手資金も潤沢とは言いがたい金額だったので、生活費を稼ぎ出すには大きなリスクを取って高いレバレッジでボラティリティ(価格の変動性)が高い銘柄の取引をしていた。

冷静に振り返れば、なんとか生活費を稼ぎ出せていたのは単に運が良かっただけで、一歩間違えれば大きなダメージを負っていたと思う。

信用取引をしていた時の精神状態は結構ヤバかったです。

寝ても覚めても頭から相場のことが離れず、ポジションを決済する判断をする際の精神的な労力は凄まじいものが必要でした。

評価益が当初の目標水準まで行ったポジションを決済するときには「まだ上がるのではないか」という欲望と戦い、

評価損が当初設定した損切りラインに近づくほどに心に絶望が広がって、損切りした後は大きな喪失感を感じていた。

トータルで稼いだ収益に対して投じた精神的なコストがあまりにも割に合っていなかった😵‍💫

貴重な経験でもあった

レバレッジ取引は二度とやろうとは思わないが、それでもわたしの人生において貴重な経験であったとは思う。

リスクを負う経験、それも自分のほぼ全個人資産が+30%から−30%くらいの幅で短期間に動く経験はあまりできないのではないだろうか?

また、株取引の経験は自分に投資する自己投資の良さに気づかせてくれた。

リスク資産のリスクには回避・コントロール不能なリスク(システマティック・リスク)がある。

自己投資についても知識・技能の陳腐化というシステマティック・リスクはあるが、金融商品のシステマティック・リスクに比べればリスクは小さい。

そして何より、自己投資の利益率は自分の頑張り次第なのが素晴らしい。

投資収益率がリスク資産の収益率並みに下がるまでは、優先的に自分自身に積極投資していきたい。

Thanks🐟

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA