自宅近くで一番安く予防接種やってるないかにいったら…

予防注射を受ける人のイラスト(男性)

診察券もらったので、それを見て自分を戒めようと思います。(本来の用途では使いません)

インフルエンザの予防接種を受けてきた

すっかり寒くて乾燥する季節になりましたね。

コロナ前ではインフルエンザの流行が心配される季節でもありましたが、

昨今はマスクが常態化しつつあるおかげで、インフルエンザの流行はそうでもないとか。

それでも、インフルエンザにかかってしまうと大変めんどうなので、予防接種を受けることに。

そして、自宅近くに星の数ほどある予防接種を受けられる内科を探して、一番安いところで受けてきました。

安さには理由があった!?

予防接種に行って気分が悪くなりました。

「気分=体調」ではなく、「気分=気持ち・感情」のほうです。

注射自体はまったく問題なく終わりました。

問題はその前の先生の診察。

わたしが行った内科は開業医の小さな内科でした。

それまでその内科にかかったことがなく、初めて行ったのですが、

診察のときに先生が「去年はどこで打ったんですか?」と尋ねてきて、

去年も当時初めて行ってみた違う内科(そのとき以来一度も行っていない)で予防接種していたので、

わたしは去年どこの病院で予防接種していたのか全然覚えていませんでした。

わたしが覚えていないと言うと、

先生は「普通忘れるかなー?」と言い放ち、近隣の内科の名前を並べ始めた。

そして、わたしは思い出せないのでスマホのカレンダーで去年の記録を確かめようとしたら、

「いや、そこまでしなくてもいいよ」といい始める先生。

その後、問診と血圧、心拍を確かめてから、また近隣の内科を並べ始める先生。

そして、やっと去年わたしが行ったであろう内科の名前が出てきて、思い出した私は去年行った内科の名前を告げたんですが…

そうしたら、先生はわたしが告げた内科のネガキャンをし始めた😥

もう本当に、先生との会話は終始不快で仕方がなかった。

二度とその内科には行きません。

なにが嫌だった?

なぜわたしは不快さを感じたのだろうか?

ひとつは「去年に予防接種した病院を覚えているのが当然」という認識・価値観を押し付けられたこと。

先生からしてみれば、近隣の内科は商売の上で競合なので重要なんでしょうが、わたしにとっては

「去年冬ごろに一度だけ行ったインド料理のお店の名前を覚えているのは当然」と言われているの等しい。

それくらい去年どこで予防接種をしたか、なんてことに興味がない。

次に、わたしにとってまったく価値がない「去年どこで予防接種したか」ということを考えさせたこと。

わたしは先生に去年どこで予防接種したかを聞かれたときに、最初はそのことが何か医学的に必要な情報だからたずねているのだと思ったのですが、

実際は他の病院のネガキャン+自医院アゲをしたいがため、という先生の自分勝手な理由だったのが本当に不快に感じた。

まとめると不快に感じた原因は…

  • 価値観の押し付け
  • (相手の)時間の浪費
  • 他者を貶める発言

自分も同じことをしていないだろうか?

ただただ嫌な思いをした、と捉えて終わるのは損なので、

この経験が少しでもプラスになるように、前向きに捉えてみる。

嫌なことがあったら、それを反面教師として自分を省みてみるのがいいと思う。

自分は上述の価値観の押し付け、時間の浪費、他者を貶める発言をしてはいないだろうか?

考えてみると、そもそもコミュニケーションを取る相手が少なすぎて、それらをする余地すらなかった😰

が、今後いつか他者とコミュニケーションを取る際には気をつけるべきだし、

実際に言葉にしなくても、

「周りの人たちも(自分と同じように)〜する(である)べきだ!」(価値観の押し付け)

「○○(他者)なんて××(ネガディブで貶めるような表現)」

という思考をすることも危険なのではないか。

少なくとも、わたしは「自分が不快に思うような発言・行動・思考をする人間」にはなりたくない、と願う。

そう考えると、この不快な経験も案外悪いモノではなかったのかもしれない。

Thanks🐟

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