わたしの持つ公平性は公正世界仮説に引っ張られていたかも

切腹のイラスト

公正世界仮説、めっちゃ怖い。

ストレングス・ファインダーで示されたわたしの強みの一つ

前にストレングス・ファインダーの診断テストを受けてみて、自分の強みになりうる資質にどのようなものがあるのかを調べてみて、

結果として、上位5つの資質のうち上から5番目の資質として「公平性」がランクインしていました。

診断結果を見た当時は「公平性」の項目についてはあまりピンときていなかったのですが、

『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』山口周(KADOKAWA、2018)

の中で紹介されている、「公正世界仮説」のトピックを読んでいて自分が持っている「公平性」的なものを自覚することができました。

公正世界仮説とは?

社会心理学の分野で、努力すればいつか必ず報われるように世界はできているハズ、という世界観(仮説)のことを「公正世界仮説」というそうです。

公正世界仮説を元にロジックを組み上げている例として同書では「一万時間の法則」をあげて説明していました。

「一万時間の法則」は特定の分野のプロフェッショナルや成功者になるためには最低一万時間のトレーニングが必要だとする法則。

一万時間の法則を公正世界仮説という観点から見れば、

「能力や成功は才能ではなく努力したかどうかで決まる」

というスタンスをとっている。

このように、「努力したかどうか」ということに主に価値を置いている。

公正世界仮説の危険性

同書では、公正世界仮説と現実との乖離について論じられているほか、公正世界仮説に囚われた思考の危険性を訴えており、

公正世界仮説が弱者の非難に関する論理の根拠として使われる可能性、および実際に弱者を攻撃する材料とされている現実について具体例を紹介しています。

読んでいてハッとさせられた😥

わたし自身の平等・公平についての考え方を内省してみて、自分の考え方にも公正世界仮説的な部分があることに気づく。

例えば、数年前に日本人ジャーナリストが某テロ組織に拉致されて、救出(?)するのに国費が使われたことについて

「自己責任」というワードとともにそのジャーナリストに多くの批判が集まったことがあったと記憶しています。

当時のわたしも「自己責任」という言葉と批判的な主張にどちらかといえば賛成していたと思います。

ですが、これも公正世界仮説に囚われているのではないでしょうか?

「自己責任」という言葉には「責任を実際に取れるか否か」ではなく

「責任を自分で取れるように努力しなければならない」という「努力することを強制する」ような意味合いが強いとわたしは感じます。

結局のところ、この話が大きく取り上げられたのは公正世界仮説的なロジックが組み立てやすかったからなのでしょう。

できるのならば誰かを批判するのではなく、日本国民が救われたことを素直に喜ぶべきだったのでしょうか…?

逆パータン(努力したのだから…)にも気を付けたい

書籍では公正世界仮説的な価値観にハマり込み、努力と成果(人事評価)が結びつかないことを認められない人間の起こすショッキングな話が紹介されていました…😰

自分自身が公正世界仮説的な価値観にハマらないように気をつけるだけでは不十分で、関わりのある他者についても気をつける必要性をよく認識できた。

上述の例に関連する話ですが、特に終身雇用が当たり前であった日本においては自分が長く勤めた会社組織に対して公正世界仮説的な価値観がそなわりやすいのではないか?

と感じ、ちょっと怖いな…と思います。

自分の親について考えてみると、かなり公正世界仮説的な価値観の持ち主かもしれない…。

Thanks🐟

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