失敗に対するイメージが変わりました。
書籍について
『失敗の科学 : 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド著、有枝春訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016)
以前取り上げた『多様性の科学』の前作ともいえる著作。
内容を簡単にまとめると、失敗から学ぶことは大切だが実践するのはむずかしい。
書籍内ではさまざまな業界のケースを取り上げて、失敗から学ばないことの危険性と失敗を認められない人間の心理などを掘り下げている。
タイトルには「組織」という言葉が入っているが、書籍内で紹介される理論は組織だけではなく個人に対しても有用なものが多い。
歴史に学ぶ必要性を感じた
同書を読んでいて思ったことのひとつが
歴史を学ぶことってすごく有意義なことなのではないだろうか?
というごく当たり前のこと。
色んな分野の歴史がありますがどの歴史も基本的には、成功して一時代が築かれて失敗によって終わる、そして失敗をもとに次の新たな時代へ、
という一連の流れがあり、歴史の中にはわたしが何かを得られる「学べる失敗」も数多くあるのではないかと。
「歴史は繰り返す」という言葉は、繰り返し似たようなことが起こるくらい普遍的で重要なものが歴史のなかの失敗にはたくさん存在している証左ともいえるのではないでしょうか?
もしかしたら今までのわたしの人生のなかでも、歴史上繰り返されてきた普遍的な失敗が個人的なレベルでたくさん起きていたのかもしれませんが、
もしそうなら歴史という学問領域をずっと避けてきたせいで気づくことすらできていなかった。
そう考えると、歴史を学ぶ意欲もわいてくる気がする。
最近少しは歴史関連の読み物も読んでいるのですが、まだまだ一般教養レベルには遠く及びません😫
子供の頃から失敗を受け入れられない性格だった
同書を読んだ人なら「自分(の属する組織)は失敗から学べているだろうか?」と考えると思います。
わたしも同じような問いについて考えてみて…
子供の頃からずっと失敗を認められない人間だったな、わたし😭
ということを改めて自覚しました。
いつからなのかはわかりませんが子供の頃から完璧主義的な考え方が根付いて、
失敗しても失敗した事実を認めずに無視したり、失敗したものごとに対して「こんなものに価値はない」と価値判断を転倒させてまで失敗を認められませんでした。
前者の例としては勉強における間違いを「ケアレスミス」という言葉で誤魔化したり、酷いときには答案を自己採点するときに軽微なミスをあとから修正して間違いをなかったことにしまったことも。
後者のほうは何か自分の思い通りにいかないことがあると途端にやる気を無くして投げやりな態度をとってしまった、という経験を思い出します。
このように失敗を認めることすらできない完璧主義的な部分を意識し、うまくコントロールしなくてはいけないと感じる。
最近は以前と比べてではありますが、完璧主義的な部分と折り合いをうまくつけられていると思います。
以前のままであれば、そもそも上述のように自分の欠点(失敗を認められないこと)を直視することもできず、自分の欠点について文章にもできなかったと思います。
まだまだ完璧主義的な部分が顔を覗かせることもあるので、うまく折り合いをつけながらわたしも失敗から学べるようになれればと。
Thanks🐟
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