FF10の召喚士や主人公・ティーダのようになりたい

ファイナルファンタジー10 HDリマスターアルティマニア = FINAL FANTASY 10 HD Remaster ULTIMANIA

アイキャッチ画像:『ファイナルファンタジー10 HDリマスターアルティマニア = FINAL FANTASY 10 HD Remaster ULTIMANIA』(スクエア・エニックス、2013)

ネタバレあり!

『ザナルカンドにて』を久しぶりに聴いて

テイルズの記事と流れはまったく同じなのですが、YoutubeのリコメンドでFF10のメインテーマ『ザナルカンドにて』が表示されていたので久々に聴いた。

聴きながら作品を思い出してみると、本当にストーリーと設定が素晴らしいと思った。

で、自分がどんなところに魅力を感じたのかを考えてみて、いくつか思いついた中で一番魅力的に感じたのが、

召喚士たちと主人公・ティーダが自身の進む道に絶対の死(存在の消滅)があったとしても、「シン」を倒しスピラに平和をもたらすことを優先していたこと

でした👍

ワッカ(エボンの教え)とアルベド族(機械)、という価値観の対立と受容、レッテル貼り…的な要素についても好きなのですが、今回は割愛。

召喚士(+究極召喚の祈り子)と主人公・ティーダの運命

物語の設定上、

「シンを倒す」=「究極召喚を使う」=「召喚士本人+究極召喚の祈り子になったガードの2人が死ぬ」

という構造になっており、物語の終盤に明らかになります。

また主人公・ティーダについても物語の終盤に、

自分の生まれた世界と自分自身は、追い詰められた(1000年前の)ザナルカンドの民たちが祈り子となってエボン=ジュにより召喚された夢であり、

シンという存在が夢の召喚を維持するためにエボン=ジュを守る鎧であることが明かされます。

つまり、ティーダもまた

「シン(エボン=ジュ)を倒す」=「エボン=ジュが召喚していたザナルカンドの夢が終わる」=「ティーダの存在も消滅」

という召喚士と似たような構造に囚われている。

なぜ彼らは自分の命(存在)を犠牲にする覚悟を持てたのだろう

主人公・ティーダや召喚士・ユウナは自分が必ず死ぬ(消滅する)とわかっていながら、

なぜシンを倒す覚悟を持つことができたのだろうか?

作中では決意が鈍ってしまい、途中で旅をやめてしまう召喚士がいます。

またアルベド族は、召喚士だけが死ぬのはおかしい、という考えのもとで召喚士の誘拐という行動に出ました。

そのような中で、ユウナが旅を続けられた理由は「スピラが好きだから」という風にストーリーの随所で語られる。

ユウナが好きで守りたい「スピラ」の中には、きっとティーダも入っているのでしょう。

ティーダがエボン=ジュを倒すことを決意できた理由はたくさんあると思う。

ザナルカンドの夢(ティーダ自身)を守るために、シン(エボン=ジュ)によってスピラに悲しみがまき散らされているのを許容できないこと。

祈り子が、夢を終わらせてほしい、とティーダに願ったこと。

仲間たちと旅をするうちにスピラという世界を好きになったこと……などなど。

色々あるけど、きっと一番大きかったのはユウナが好きだったから、なのではないかと。

わたしにもできるだろうか?

残念ながら、わたしはこれまでの人生で自分の命と引き換えにしてでも達成したいことに出会えていません。

ティーダやユウナにとってのスピラのような、どうしても守りたいもの、というのが自分にはない。

よくよく考えてみれば、自分にはないものをティーダやユウナが持っているからこそ魅力的に感じた、のかも。

わたしにもいつか、どうしても譲れない大切なもの、ができるだろうか?

Thanks🐟

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