高校生のわたしでは、まったく気づけていませんでした。
ちょっと最近、高校時代を思い出す機会が多かった。
そして、自分の高校って、今思えばすごく良いところで、
今のわたしがあるのは、あの高校のお陰では?
と思ったので、振り返ってみます。
毎週の小テストで、どう足掻いても最低限の学力が身についてしまう
わたしの出身高校は、正直に言って学力的にわたしに不相応(に高すぎる)でした。
なのですが今思うと、
学力不相応の高校に入れていて助かった……😥
というふうに感じることが多いです。
センター試験(今は共通テスト?)での配点が高い国数英については、
毎週必ず追試付の小テストがありました。
国語なら古文・漢文の単語、現国の熟語・慣用句など、数学は最近授業でやった単元、英語は英単語の意味や例文…みたいな感じです。
どの小テストも8割以上が合格で、不合格なら追試、追々試があり、
追々試でも不合格の場合は、後日、放課後に強制的に居残りさせられ、8割取れるようになるまで帰ることを許されない補習が待っている。
8割が合格ラインなのは、地元の旧帝大のセンター試験での合格ラインに合わせて、とかだったかな。
当時は嫌いだったけど、この小テストのおかげで基礎的な学力がついたと思います。
この毎週の小テストですが不合格で、追試・追々試が積み重なると、その週の小テストと先週以前の追試の勉強をすることになって、
多重債務者のように首が回らなくなる恐ろしいものでした😨
と補足しておきます。
熱意のある教員たち
「俺は別にお前らがどうなろうと知らん。やる気がないならやらなきゃいい。でも、教えてくれって言うんなら、わかるまで教えてやる」
これは他クラスと比べて、わたしのクラスの定期考査(数学)の平均点があまりにも低い点数だった際、当時の担当数学教員が言った言葉です。
残念ながら、当時のわたしは平均点を引き下げていた張本人でした🙄
そして、この言葉を聞いてからも相変わらずでした。
もし、今の自分がこんな言葉を掛けられたら、どう思うだろう?
こんなにわたしのことを考えてくれる人が両親のほかにいるだろうか?
この教員に限らず、他の先生方も授業の内外を問わず、熱心に指導していたと思う。
上述の毎週の小テストも、国数英の担当教員の負担がとても大きい。
生徒が8割取れるようになるまで教員も学校に残るのだから(上限はあるが、できなければ翌日もやるので…)凄まじい残業だ。
生徒にとっては恵まれた環境、なんだよね……。
自由な校風
わたしにとって一番ありがたかったのはコレだ。
厳しい生活指導なんてなかったし、校則もなかった(生徒手帳とかに書いてあったかもしれないが、校則を意識するような出来事は3年間ただの一度もなかった)。
教員は基本的に生徒の自律や良識といったものを信頼していて、
授業外での生徒とのコミュニケーションがフランクな教員ばかりだった気がする。
多分、生徒をできる限り「子ども」ではなく、「大人」のように扱っていたのだと今は思う。
そんな校風に、わたしは救われていた。
厳しい校則や生活指導があったのならば、おそらく当時のわたしは3年間通えていなかっただろう😰
まとめ
高校生活は今のわたしに色んなモノを与えてくれていた
と、振り返ってみて思う。
そして、わたしに高校生活という得難い経験を与えてくれた多くの人々に、
非常に遅まきながら感謝で胸がいっぱいになった🐟
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