頭からっぽにして、時間を忘れるほど楽しみたい。
「目的」について改めて考えてみて
わたしの人生の目標である『「楽しい」「嬉しい」などの快い感情を求めること』について考えていて、
ふと「思い返してみると、わたしの7〜8歳くらいまでの人生って輝いてたな」という思いがわいてきた。
もしかしたら、その頃の生き方に何か幸せへのヒントが隠れているのではないかと🤔
そして、生きることにモヤモヤが増え始めた時期を考えると、
わたしの人生の幸福度が下がり始めたキッカケは恐らくド田舎から(わりと)都市部に引っ越したこと、なのではないかと思えてくる。
自分の生き方を「人生が輝いていた頃」のものにするためにはどうすればいいだろうか?
セキュアベースがしっかりしていた
小さい頃、何事も無邪気に楽しめていたのは『親』というセキュアベースが当時のわたしに絶対的な安心感を与えてくれていたからなのではないかと思います。
不安や恐怖、脅威といったネガディブなものから自分は守られている、無自覚にそう思えていたから幼少期のわたしはポジティブに過ごせていたのかも。
しかし、周囲から「〜ねばならない」などの圧力を次第に感じるようになり、気がつけばセキュアベースであった両親も同様の圧力を放つのであった。
歳を重ねるごとに「大人は思っていたほど完璧じゃない」ということを理解していくと、わたしの『親』というセキュアベースは安全地帯ではなくなっていきました。
今こそ、わたしの新たなセキュアベースを築いていく必要があるのではないか?
どうすればセキュアベースを作れるだろうか?
幼少期の親のような、安心や安全を担保してくれるセキュアベースを作るにはどうすればいいのだろう?
思いつくのは、幼少期の親に抱いていたセキュアベースの要素を自分で作り上げていくこと。
「なにかあっても、それがあれば大丈夫!」と思わせてくれるもの。
で、具体的にはどんなものだろうか…?
お金や知識も大事だけど、もっと必要なのは「頼れる誰か」なんじゃなかろうか。
それもただ単純に「頼れる誰か」なのではなく「(損得を抜きにして困っているわたしを)助けてあげたいと思ってくれる誰か」。
きっとそんな「頼れる誰か」がたくさんいれば比類なきセキュアベースであることはもちろんのこと、そんな人生は楽しいに違いない😆
問題は「そのような素晴らしい人間関係をわたしが作ることができるのか…?」ということだが。
Thanks🐟
コメントを残す