使う「言葉」って大切だと思う。
「当たり前」はネガティブな言葉?
普段、わたしも何気なく使っていた「当たり前」という言葉。
考えてみると、ネガティブな側面が多いことに気づく。
思い返してみると、「当たり前」という言葉が使われる際の文脈はたいてい何かを否定したりするときに使われている。
自分が遭遇した「当たり前」という言葉の使用シーンを回想してみて、なぜわたしが「当たり前」をネガディブに感じるのか理由を探ってみると…
「当たり前」という言葉がわたしの嫌いな「価値観の押し付け」であるからなのではないだろうか?
「慣れ」も危険かも
「当たり前」という言葉の「価値観の押し付け」的な部分以外にもよろしくないと思ったのが、
「当たり前」という何かに対して「慣れきってしまっている」といった意味合い。
「ありがたい」が慣れによって「当たり前」に上書きされてしまうと、「ふつう」のハードルが際限なく上がりつつける。
見方を変えれば、感謝すべきことに対して「当たり前」が「感謝すべきと認識すらできない」状態にわたしたちを陥らせているのでは。
また、世の中に「確実なもの」なんてないのに、さも確実であるように「当たり前」という言葉で何かに対して「確実である」と思い込むのは危険なことではなかろうか。
使わないようにしたい
自分の言動や思考を振り返ってみて、わたし自身も「当たり前」やそれに近いニュアンスの言葉を使っていたと自覚。
「他人から価値観を押し付けられたくないし、押し付けたくもない」
などと考えていたのに、使っている言葉は残念ながら伴っていなかった…。
今後はもっと自分の使う言葉に気を配りたい。
ポジティブな思考・言動にはやっぱりポジティブな言葉が必要だと思う。
Thanks🐟
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