お子さんがいる方はぜひ読んでみてください。
子供の教育についての本を読んだ。おもしろかったぞ!
今回はこちらの書籍を読んで、思い出した幼少期の出来事などについて書きたいと思います。
『モンテッソーリ教育・レッジョ・エミリア教育を知り尽くした オックスフォード児童発達学博士が語る 自分でできる子に育つ ほめ方 叱り方 3歳 〜 12歳 の子ども対象』島村華子(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2020)
子どもが自主性や社会性などが豊かな人間に育ってほしい🥹
という保護者に向けて、学術的な内容とシーン別のほめ方・しかり方を
多くの具体例を用いて解説してくれています。
読んでいて、
「これ、大人に対しても当てはまるな😅」
と感じる部分も多くあり、
特に、書籍で紹介している保護者が子どもに対して持つべきイメージやマインドについてが印象的でした。
『ゲーム』に罪悪感を感じる理由
書籍を読んでいて、自分の幼少期の親のほめ方・しかり方を振り返る。
色々思うことはあるのですが、印象に残っているのが、
「いつまでゲームやってるんだっ‼️」
と、親に怒鳴られた記憶です。
今になってようやく分かったのですが、その瞬間から
『ゲーム』=『親の機嫌を損ねる、親に嫌われるモノ』
という認識がわたしに刻まれたのだと思います。
以降、親の前ではゲームをやらないようになりました。
まあ、親の目の届かないところではメチャクチャやってましたが。
当時は、ゲームボーイ(アドバンス)や任天堂DSなどの携帯ゲームで遊ぶことが多く、
親の不在中にゲームをやって、親の帰宅に気づくと急いでデータをセーブして、ゲームを隠しました。
DSは上下の画面を閉じるだけでよかったので、そういう意味では好都合でした。
このような状況だったので、ゲーム自体は好きだったのですが、
ゲームをする行動については罪悪感のような気持ちを持っていて、
恐らく、今も完全には消えてないと思う。
今でも親の目の前ではゲームをするのを控えたい気持ちがあるので。
この歳になって、幼少期と同じように怒られることなんてない、
とわかっていても、やっぱり抵抗感を感じる。
臆病な性格を作り上げたトラウマ
わたしの臆病で消極的な性格・人格の形成の一因ではないか?
と、考えているトラウマについても思い出しました。
小学校低学年の頃の話です。
当時、うちは一家4人(父母兄わたし)で狭い2LDKのマンションの一室で生活していました。
一部屋がわたしと兄の共同の子ども部屋となっていて、
間取りの関係上、リビングの奥に部屋の出入り口がありました。
ですので、頻繁にリビングを横切る必要があったのです。
夜になると、狭いリビングで父が毎晩お酒を飲みながら床に寝転がり、テレビを見ていました。
当時はソファー、ローテーブルなどは置いていなかったので、父は飲んでいたお酒を床に置きます。
ある日、わたしが自室に戻ろうとしてリビングを横切ろうとした時、
床にある父の飲んでいたお酒の入ったグラスを倒してしまいました。
今考えれば、人が通るかもしれない所に物を置くな😡、と言いたくもなります。
でも当時は、そう考えて提案できないほどには幼かった、ということなんですよね。
わたしがグラスを倒したことに気づいた父はわたしに対して深いため息をついた後、
「やりやがったな」
とわたしに言い放ち、その後も何か言っていた気がしますが、
わたしは頭の中が恐怖で真っ白になっていたので正直おぼえていません。
それ以来、何度か同じこと(お酒じゃなくて、床に置いたメガネを蹴ってしまったこともあった)がありました。
そんな時の父の対応はいつも深いため息の後に、
「ごめんなさい」と謝るわたしに対して「もういいから、いけ」でした。
当時、凄まじいストレスを感じていた記憶があります。
この経験はわたしに、
理不尽は確かに存在している
という強烈なメッセージを心に刻み込み、
心配性、臆病、消極的といった性格・人格の形成に一役買ったのではないかと思っています。
それ以来ずっと、父に苦手意識があり、心の底から信頼することがむずかしいと感じます。
わたしも歳を重ねて、父もカンペキな人間ではないことは理解できるので、
この思い出について父をゆるし、より良い関係を築ければ、とは思うのですが……
まとめ
子どものほめ方・しかり方の本を読んで、幼少期の出来事が大いに現在に影響を与えていることに気づいた。
Thank you for reading😄
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