思考のバイアスを意識して、情報と接したい。
『新世界より』
『新世界より』貴志祐介(講談社、2011)
がKindleの読み放題の対象になってる!!
と、AmazonのウェブサイトでKindle本を探していて同タイトルを見つけて少し興奮してしまった。
読みたいけど、他の本のほうが今の自分には必要だと思うので泣く泣く断念。
知らないことを知る、そっちが優先。
でも、少し内容を思い返すくらいはいいかなと思って記事にすることに。
わたしが同書のストーリーの中で印象に残っているのは、やはりメインのテーマのひとつともいえる
超能力者と非超能力者、というカテゴライズ(?)、ラベリング(?)、分断(?)的な思考・価値観です。
特に、物語のラストで覚(さとる)が明かすハゲネズミの研究結果が示す事実によって、読者のストーリーに対する捉え方が大きく揺さぶられます。
現実に即して考えてみると、私たちも超能力のあるなしで区別するのと同じようなことを、日常的にしているのではないか…?
読んだことない方は、ぜひ原作小説かアニメを‼️
(漫画版は読んだことない)
『FACT FULLNESS』の『分断本能』
『FACT FULLNESS』ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド〔上杉周作、関美和訳〕(日経BP、2019)
似たような概念について最近『FACT FULLNESS』で読んだのを思い出した。
同書では、『先進国』と『途上国』、『私たち』と『あの人たち(我々と同じ生活を決して送ることはできない人)』など
何かを(特に人を)2つに分けて、その間には絶対に埋まらない溝があるように認識してしまうバイアスがあることを紹介している。
変化の速さが刻々と増している現代社会では、分断本能によるバイアスで見落としてしまうモノも増えてしまう。
また、本当は分断が無いにも関わらず分断を演出すること
具体的には、自分の主張を通したいがために意図的に分断を作り出そうとしているモノ(者)には注意が必要だとわたしも思う☹️
まさに『新世界より』の小説の中では分断が進みすぎて、悲惨なことが起きていた。
『池袋暴走事件』で使われた『上級国民』という表現
意図的に作り出された分断として、わたしがパッと思い浮かんだのは『池袋暴走事件』だ。
同事件では、容疑者の逮捕の有無について誤解が広がってしまった。
容疑者の社会的な身分が高いから(『上級国民』だから)逮捕されなかった、という誤解だ。
本当のところは、逃亡の可能性が極めて低いから、とかだったと記憶している。
上述の誤解をしてしまった多くの人が、『上級国民』という言葉に分断本能を刺激されてしまい、
分断を好むバイアスに絡め取られてしまったのではないだろうか。
当時のメディアが『池袋暴走事件』をどのように報道していたかあまり覚えていませんが、この事件に限らず、
おそらくメディアはこのようなバイアスを利用した報道を行なっているのではないかと。
そうでなければ、『上級国民』の誤解があんなに広がるバズがないと思うので。
報道メディアの情報だけではなく、あらゆる情報を取得するときには
情報元はどのような意図を持って(読者をどうしようと思って)情報を発信しているのか?
を意識して、情報元がわたしたちに仕掛けたいバイアスに注意しなければいけないと再確認できた。
Thanks🐟
コメントを残す